第1章

ふと目を開けると、そこは雲のように柔らかな天蓋付きのベッドの上だった。

薔薇色の精緻な刺繍が施されたカーテンが四方を飾り、視線を上げれば、ドーム状の天井一面に天使と星々が舞う壮麗なフレスコ画が広がっている。

「私……転生したの?」

次の瞬間、記憶の奔流が私の意識を呑み込んでいく。どうやら私は、『姫君の寵愛』という西洋ファンタジー小説の世界に転生してしまったらしい。

そして、最悪なことに、物語の中で最も悲惨な結末を迎える悪役令嬢――ローゼンタール王国の第四王女、アリス・サイになってしまったのだ。

原作のアリスは、ヒロインのルル・サンダースが父王の寵愛を独占することに嫉妬し、悪事に手を染めた末、自らの城で生きたまま焼き殺されるという、あまりにも無残な運命を辿る。

「なんて輝かしい未来でしょう……!」

思わず、乾いた笑いと共に皮肉が口をついて出た。

混乱する頭で、必死に記憶を整理していく。ヒロインであるルル・サンダースは、血の繋がらない義理の姉。サンダース妃の娘であり、国王の養女という立場にすぎないのに、父である国王アーセー・サイの寵愛を一身に受けている。

対する私は、正妃が生んだ正真正銘の嫡姫でありながら、父親からほとんど関心を向けられていない。

なぜ、こんな歪なことになったのか。記憶を辿れば、すべては父王の少年時代に端を発していた。

若き日のアーセーは、とある貴族の令嬢――ソフィ・サンダースに密かな恋心を抱いていた。だが、先王によって鷹翼親王に封ぜられ、辺境の鷹翼州へ赴く直前、想いを伝えるべく忍び込んだサンダース家の屋敷で、彼はソフィにあっさりと拒絶される。

失意の底に沈んだアーセーは、二度と王都である銀月市には戻らないと固く誓ったという。

その後、ソフィはローゼンタール王国軍の大半を掌握していたジェラルド将軍に嫁ぎ、娘のルルを産んだ。ジェラルド家の権勢は日に日に増し、その野心もまた、どす黒く膨れ上がっていった。

そして、ルルが三歳になった年、ジェラルド将軍はついにクーデターを決行。わずか十三名の精鋭騎士を率いて王宮に乗り込み、先王に退位の詔書を強要したのだ。

この国家存亡の危機に、鷹翼州から十八名の騎士を率いて馳せ参じたのが、アーセーだった。

原作小説には、こう記されている。『その日の王宮広場は、血の雨が降ったかのようだった。一面の猩紅は、この上なく壮麗であった』と。

先王はクーデターの衝撃で病に倒れ、死の床でアーセーに王位を譲った。新国王として即位した彼は、反逆者たちをことごとく粛清し、ジェラルド家は一族郎党、投獄の憂き目に遭った。しかし、アーセーはただ二人、初恋の相手ソフィとその三歳の娘ルルの命だけは助け、王宮に招き入れたのだ。

アーセーはソフィを正妃にと望んだものの、議会の猛反対に遭い、彼女を側妃の位に留めるしかなかった。ソフィは娘の姓を、夫のジェラルドから自らの旧姓であるサンダースへと改めた。玉のように愛らしいルルは、たちまち国王の心を掴み、その寵愛を一身に受けるようになる。

一方、私の母であるヴィクトリアはクレモント公爵家の出身で、正妃にふさわしい、淑やかで思慮深い女性だ。だが父王はサンダース妃のみを愛し、公式な謁見以外、政務の合間はほとんど彼女の住まうエメラルド荘で過ごしている。

本来の『アリス』は、父の愛に飢えていた。だからこそ、ルル・サンダースを羨み、嫉妬した。

そして決定打となったのが、婚約者であるジェームズ・オリビエの裏切りだ。彼がルルと結ばれるために婚約破棄を望んでいると知ったアリスは、ついに心の闇に呑み込まれた。ヒロインに牙を剥き、その果てに、自らの城で業火に焼かれるという最期を迎えるのだ。

「この展開、あまりに典型的すぎて……逆に笑えてくるわね」

唇から、呆れたような溜息が漏れた。

「でも、私がこの身体に入ったからには、絶対に同じ轍は踏まない」

私はゆっくりと身を起こすと、豪奢な姿見に映る金髪碧眼の少女をまっすぐに見つめ、深く息を吸い込んだ。

「アリス・サイ。今日から、あなたの運命は、この私が書き換えてあげる」

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